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This article was written on 22 1月 2013, and is filled under Tibetan World, Travel, カンゼ・チベット族自治州2012.

二郎山隧道

雅安

雅安の街は西蔵門戸(チベットへの入り口)とも呼ばれるようにチベット文化圏の入り口です。
ここからまずは甘孜蔵族自治州(カンゼ・チベット族自治州)との境界にある
二郎山隧道を目指します。

まだ地方の田舎町と言った感じの雅安郊外を出て
四川省の成都とチベットのラサをつなぐことで有名な川蔵公路、国道318線を走ります。
国道らしく最初はこんな写真のような道路でした。

二郎山茶马古道

段々と険しい山の中を入るようになって二郎山茶马古道(茶馬古道)の碑が。
何だか色々なイタズラ書きがされているようですが・・・(^^;

この二郎山というのは雅安からチベットへ向かう茶馬古道の中でも
一番の難所と呼ばれた険しい山で、
当時は隧道(トンネル)などもなく、多くの方が命を落とした場所でもあるそうです。

この碑が出てきたので二郎山隧道ももう近いのかと思いましたが、そこは中国大陸。
そんな訳にはいかなかったのでした・・・orz

川蔵公路

国道といっても段々と舗装が酷い状態に。
道もどんどん細くなってきます。
更に舗装の工事などで片側通行が頻発するように・・・
ということでとうとう全く車が動けない状態に。
前も後ろも車が詰まっています。

そこで商魂たくましい近所の農家の皆様。
収穫したてのトウモロコシや果物、ジュース、水など売店が出現します。
有料トイレ(といっても完璧なニーハオトイレ)も出てきたり
ちょっとしたサービスエリアの登場です。凄い。(^^ゞ

川蔵公路

渋滞さえなければごく普通の田舎の農村です。

鶏が歩いていたり、収穫物が天日干しされていたり、のどか。(^^

川蔵公路

その後も交互通行や渋滞を繰り返し・・・
物凄い田舎の道路のようですが、ここはやっぱり川蔵公路だからなのか
トラックなどの大型車両の通行もかなりあります。
道は単なる山道だけに余計大変なことに。

山も厳しくなってきて、所々に落石やがけ崩れの跡が見えます。

川蔵公路

予定時間を大幅にオーバーして二郎山隧道に到着。
この先はチベットです。

二郎山隧道は観光地になっていて、殆どの車はここを観光して引き返しているようでした。

この二郎山隧道は中国共産党のチベット侵攻の肝となっていた場所で
(共産党の皆様的には開放と言うようですが・・・)
茶馬古道でも一番の難所と呼ばれていただけに
この険しい山にトンネルを作ることは侵攻を成功させるためにも必須だったようです。
流石に簡単に作れるような場所ではなかったようで、解放軍にも多くの犠牲が出たと聞きます。
このトンネルが開通したおかげで、解放軍はチベットへ侵攻する足がかりを得たという
私としては複雑な気持ちになるような場所でもありますが
漢民族の皆様の二郎山隧道は解放軍の根性と技術の証のような位置づけのようで
結構派手派手しく、誇らしげに宣伝されているのを見かけました。
(ちなみに一般通行が可能になったのは2001年のようです)

二郎山隧道を抜けると軍による検問があります。
ここで外国人と分かると結構面倒なことになるので
(このあたりはチベット文化圏なので外国人というだけで足止めされたりします)
私たちは怪しまれないように後部座席でグラサンをかけたまま寝たふり。(^^;
幸い検問はここだけでしたが、流石に写真撮影は無理でした。

ということで、無事チベット文化圏へ。

川蔵公路

二郎山隧道を抜けてチベットへ入って一番驚いたのは、その空の青さ。
全く色が違います。本当に美しい青。
光が違うのか見る景色の色が全く違います。
このあたりでこんなに美しいのですから、チベット自治区はもっとずっと美しいんでしょうね。

暫く走ると周囲が開けてとても美しい景色が広がっていました。

川蔵公路

この景色は今も鮮明に覚えています。
二郎山がチベットとの境界という意味が実感できました。

川蔵公路

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